IE9ピン留め

奥の寄り道

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何気ない日常の日記

*写真は、古典落語にちなんで震災にめげずに、宮古漁協主催で行われた目黒の「サンマ祭り」の模様。

何気なく人の言葉を聴いていると、時代は変われども年配者が若年世代をひとくくりにして『いまどきの若い者は…』とその不品行を嘆いたりする。自分が若者だったころに、同様な言葉で年配者から窘められた記憶もあるし、どこかの洞窟の落書にも『若いもんのやることは…』と、書かれていたとかいないとか。

時は流れても人が昔から同じ言葉をいいつづけているのは確かなようで、それに類似した常套句に、何気なく口を突いて夏に言う『暑いねぇ』というのと、最近はもうひとつ加わり『異常だねぇ』というのも入りそう。

「言うまいと思えど今日の暑さかな」の句の通り、いつの間にか口にしてきた。だが、この12号台風がもたらせた雨は異常な降雨量にて、和歌山の十津川近辺の惨状を見れば、歴史的とか記録的な大雨になった。

東京は一連の台風被害はないが、個人的には気温変動に対応できない。軟弱な体には茹ですぎた菜のようになり、なるべく言うまいと思いつつも、まだ「未練がましい残暑だねぇ」と洩らしそうだ。
# by jinzuge | 2011-09-06 11:30
今日は八月の末。まだそんな先の見通しを語る必要はないけれど、震災や原発の事故処理は未解決のままに、残り四ヶ月で今年もおわる。人生は車の運転のようなもの。アクセルを踏み続けるのは危険だ。うまくいくことや、幸せなことばかり望むことは危険だ。
ずっと、ブレーキも踏まず、ハンドルもろくに切らない運転は とりわけ無謀なはず。予期せぬ出来事に急ブレーキを踏まなければならない時があるかもしれない。
少し立ち止まって、車から降りて休憩することも必要かもしれない。そうやって、車の運転の楽しさがわかってくる。うまくいく日とうまくいかない日、両方ともそのまま受け止めたい。
今日はこれだけはできたから良かったと受け止める練習をしよう。高速道路から降りて知らない田舎道を走るのもたまにはいいものだ。この道を通らないといけないのだとこだわるのをやめてみよう。
車のハンドルには「あそび」っていう余裕がある。「あそび」のないハンドルでは事故のもと。人生はケセラセラ。何とかなる。いい加減は良い加減と思うほかはない。

# by jinzuge | 2011-08-31 10:27

あらためて指摘されると、世間の多くの人たちと同じように、ずっと無頓着に使っていた。思い違いをしていた言葉や慣用句の調査結果というのが新聞に出ていた。

煮詰まるという言い方の意味を議論や意見が出尽くし、結論の出る状態を示す意味なのに「行き詰まって結論が出せない状態」と間違えている人が、若い人では七割前後に上ったという。年齢を問わない全体の数字では、五十七パーセントの人が「結論の出る状態」という本来の解釈を回答したとか。

そのほか、憮然とするというのも、失望してぼんやりしているという意味を、腹を立てているという理解の人が七割だったそうだ。そのほかにも「さわり」というのを、話などの最初の部分と解釈した人が七割強。ちなみに正解は、話などの要点をいう。

それらは知っていたが、いい年をして若い人たちと同じ間違いをしていて愕然とした。「げきを飛ばす」とか、「ひきょうなやり方で失敗させられる」などの意味を取り違えていた。「げきを飛ばす」は、元気のない者に刺激を与えて活気づかせる、という意味だとばかり思っていたが、自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めるというのが正解という。もうひとつは、足元をすくわれるだとばかり思い込み、足をすくわれるだとは理解しておらず、過ぎたことだが、多くの恥をかいてきたことに汗顔の至りだ。
# by jinzuge | 2011-08-30 10:30
いまの時期に、小さなユリ状の黄色い花を横向きに数個咲かせて、可憐な花にて花径はせいぜい2センチくらいなのが黄蓮華升麻(きれんげしょうま)。
蓮華升麻に似ているのでこの名になったそうだが、似ているとは思えない。近畿以南に多いそうで、数年前に宮尾登美子サンが「天涯の花」の中でこの花を紹介し、「天の花・天の果ての花」と書いている。それによってかなり有名になった。
写真は、知人が東京大学植物園日光分園で撮ったもの。深山幽谷の木陰にひっそりと生息しているというから、どうやら湿ったところが好きらしい。
環境省の絶滅危惧種に指定されており、関東の人間は植物園くらいでしかお目にかかれない希少なもの。聞くところによれば世界的にも希少植物らしい。
数年前、京都だったか奈良だったかで、鹿に食べられたと言う記事が新聞に載っていた。鹿には美味なのか、ただの空腹のために食べてしまったのかは不明。1属1種の植物 ゆきのした科きれんげしょうま属。




# by jinzuge | 2011-08-29 11:50

統計があるわけではないが、知るところ特に小学校の先生が老境になりよくぼける。人間は誕生して発達する。発達過程を経て成人になり、それから長い老化過程を経て死に至る。学校の先生というのは、この中の「発達過程」にかかわる。「発達して行く子」が「よい子」というわけだ。

「発達する」のも、「老いる」のも、全部自然過程だから、「いい」とか「悪い」という価値判断以前の問題で、人間が生きていくというのと同じ意味。何か価値があることが分かってから生まれてきたわけじゃない。気が付いたら生まれていた。価値より先に「生の事実」というのはある。

人間は昨日より今日、今日より明日とドンドン進歩していくものだ。進歩しなければダメなんだと思っているのが、お漏らしするようになったり、物忘れするようになっていくのだから、自分を許せなくなる。自分と付き合えなくなる。そういう苦境を脱出するすべとして恍惚の人になり、それがボケなのではないか。

三好春樹著「教師はなぜぼけるのか」を手にして、目からうろこ。「発達」するだけではなく、「老化」するのも人間なのだと思えば、身体は元気でも意思疎通ができないという方にも、違う接し方ができそうだ。
# by jinzuge | 2011-08-28 10:44
もう暑いといったところでたかが知れている。ようやく暑さも収まり、急速な気温低下に体内スイッチの切り替えがスムーズに転換できない。特に寝具の上掛けは、かけていると暑い感じもあるし、剥いでいると肌寒い気温になり今朝などは鼻づまりになって目覚めた。
この夏も気温の変化が激しく異常な気候だと思ってはいたが、季節の廻り合わせは律儀にやって来て、崩れているとはいえ自然のバランスは凄いものだと感心する。
昨日の東京は、午後の三時前後に局地的大雨になり、排水が追いつかない場所は浸水して交通障害が発生していた。一時間に100ミリほどの降雨というから、まるで梅雨末期の出来事のようだった。
このまま秋になるとは思えないが、葉月から長月への季節の節目に、富山の八尾町で三日間にわたり「風の盆」という祭りが行われる。実りの秋になり、そろそろあちこちで稲刈りが始まるのもこの時期。
九月一日は立春から数えて210日になり、昔はこの時期に大風が吹くと謂われて、この風の神の怒りを鎮めようと始めた神事が起源にて、祀りが祭りへと変化したのだという。胡弓と三味線の静かな哀調漂う音に合わせて踊る情緒のある祭りとして人気がある。そろそろと秋への序奏に。 
# by jinzuge | 2011-08-27 10:09
石原都知事は、日本へ五輪大会の招致をと情熱を傾けており、都民にも賛否が拮抗している。四年に一度の国際的なイベントにて、どこの国で開催されても印象に残る部分は多く、日本や韓国で開催された後もそうだったように、オリンピックを境に社会の経済活動や、感覚的な国際基準などが見直されて発展を遂げる機会になるような気がする。

成人前のことにてローマオリンピックのことは、ほとんど断片的にしか記憶がないけれど、1964年の東京五輪には三波春夫さんの歌とともに、昭和天皇が五輪開会の宣言をされて、当時の都知事は東竜太郎という方ただったように記憶する。

そのオリンピックに備えて、東海道新幹線が開通して首都高速道路も整備され、順次一般家庭にカラーテレビが行き渡るようになり、1968年のメキシコ五輪はカラー映像で視聴したことを懐かしく思う。

その時から半世紀ほどの歳月が流れたわけで、節目節目のオリンピックを思い返せば、心の中のアルバムがセピアカラーのように、その頃の出来事と重なり記憶に刻まれている。
# by jinzuge | 2011-08-26 10:39
今日もまたなんだかやたらに湿度が高く蒸し暑い。堪えきれずに、エアコンを入れっ放し。涼しかったのも三日ほどにて場所にもよるわけで、太陽が出ている日はまだまだ厳しい残暑が続いている。

寂れつつある町興しの催しとして浅草サンバカーニバルが行われ、ずっと続いていたが今年は東日本大震災の影響から早々に中止と決まっているとか。過去に何度か見たことはあるが、本場ブラジルのサンパウロで行われていたものの模倣から始めたものという。今では参加者の規模も本場を凌ぐらしいが、パレードの目玉は若い女性の裸踊りなのは言うまでもない。三十代とおぼしき青年たちが傍らで「眼帯みたいなバタフライで女性のものはすぐ隠れる」と囁いていた。

聴いていなかったフリをしていたが、男は同じようなところを見ているんだと可笑しかった。年々再々つけている物の面積が狭くなり、いくらか離れたところから観ていると、踊り子たちの出で立ちは、どこぞの風呂場から逃げ出してきたかのような姿に目がクギ付けになった。

今の若い人は惜しげもなく裸身をさらし、明治大正の人たちが見たとすれば仰天するものと思う。それにしてもスタイルに自信があるから出場するのだろうが、被災地の難儀を思えば能天気なことをいうようだけれど、眩しいばかりのダンサーを今年は見られない。
# by jinzuge | 2011-08-25 10:57
夏の通り雨が上がったあとに、草むらから白鷺が飛び立つような花が鷺草(さぎそう)。花の形が、あたかも鷺の飛ぶ姿なのでこんな名になったというのは容易に想像できる。
優雅で美しい花にて、この花を嫌いな人はまず居ないようにも思えるし、花に詳しくない人でもどなたも一度は見たことがあるはず。園芸植物と思われがちですが本来は野生の湿地植物だという。
この愛らしさゆえに、盗掘されやすく野生種が激減しているとか。7月くらいから湿原に咲きだしますが、こちらは園芸品種なので今頃になって盛りを迎えた。英名は Egret flower あるいはFringed orchid。鷺草の花言葉は「夢でもあなたを想う」
らん科ハベナリア属、東京は世田谷区の花に指定されている。
道聴塗説ながら鷺草にまつわる伝説のひとつを・・・戦国時代、世田谷城が敵に包囲されてしまった。援軍を頼みたいのだが、蟻のはいでる隙も無い。そこで城主の側室であった「常盤(ときわ)」が子供の頃から飼っていた鷺の足に文を結んで、「常盤」の父が居る奥沢城へ飛ばせた。しかし鷺は途中猟師の弓によって射落とされてしまう。その鷺の落ちた辺りに咲いた花が鷺草であったそうな。
この話はいくつかのバージョンがあります。戦国時代からですから、変わってきても不思議じゃないですよね。
# by jinzuge | 2011-08-24 10:49
猛暑が続いた後、エアコン無しでも苦にならない陽気が三日ほどあり、このまま涼しくなるとは思わなかったが、揺れながら季節は移行する。
本日は暑さが一段落するという二十四節気の処暑。ブルグマンシアというのが正式名称のようだが、何度も復唱してやっと記憶に残った。木立朝鮮朝顔(きだちちょうせんあさがお)というのが和名。エンジェルトランペットとも呼ばれ、エンジェルス・トランペット(Angel's Trumpet)は流通名だとか。
天使のトランペットと名付けたのは誰なんだろうか。天国の門の前に天使が並んで、やって来る人たちをトランペットで迎えてくれるのか。外国ではそういう連想をするのか、死はそんなに派手なものなのかねぇ。
ダチュラあるいはダツラと呼ばれることもあり、それはヒンズ-語からのようで、以前はチョウセンアサガオ属であったので、この名が残っているのだとか。現在は別属として扱われているので、ダチュラは使わないほうが紛らわしくないという。
木本で多年性、花が下向きに咲くものをキダチチョウセンアサガオ属(Brugmansia,ブルグマンシア)としており、上向きに咲くものはダチュラだと…。
知る人は知ることだが、この植物の花、葉、茎、根、種など全てに毒の成分があり、植物の毒としてはベスト3に入るほど強力なので、触ったりした時は石鹸でしっかり洗わないと、ひょっとて本当に天国に行くことになるかも知れない。
花言葉は、愛敬、偽りの魅力、変装となにやら深い曰くあり気。なす科キダチチョウセンアサガオ属 原産は中南米、インド。
# by jinzuge | 2011-08-23 10:57
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